親に自慢させるために、生きてるんじゃない

子どもたちを連れていったスキー場のロッジで待っている時間に書いています。(もう昨日のことなので、正確には、書きました。です) 例年より遅かったですが、今年初スキー。我が家ではスキーセット(板、ストック、ブーツ)は毎年シーズンレンタルなので、ある程度の回数滑ってもらわないと割にあわないという算段で半強制連行です。でも本人たちの趣味でもあるので、振り返りもせずゲレンデに飛び出して行きましたよ。

それにしても、かぁちゃんがいなければソリすらできなかった頃もあったのに、時が経つのが早い。早すぎる。手がかからなくなった分、こうした自由時間も持てるようになったわけですが、あとどれだけ同じ景色を見ていられるかな~と考えると胸がキュンとします。ま、まだ当分アッシー兼スポンサーとしては必要とされるはずですが。

それはそうと、最近子どもの幸せについてよく考えます。というのも先日、ちょっとした会話の流れから長男に「親に自慢させるために、生きてるんじゃない。」とぼそっと言われたから。

まー兄弟喧嘩がひどすぎて、頭に来た私が「あんたたちは、人に自慢できるところが1つもないね!」と暴言吐いたのが悪かったんですが(苦笑)

でも確かにそれはそうだなと。言い返されてから何日も経つけど、ずっと心に響いているので、ここにも書き留めておこうかなと思いました。

学業やスポーツが優秀だとか、一芸に秀でているとか、まぁたとえそうだとしてもそれは本人の頑張りであって親は関係ないというか、一番の応援団であっても親の手柄じゃないし、もしその時点で子どもの心に少しでも親のため(成果によって、親の機嫌が良いとか悪いとか)っていうのがあるなら、将来大丈夫?みたいなのが客観的に見ればありますよね。

どの親でも子の幸せを願うけど、

優秀=高学歴=成功=幸せ

という偏差値教育時代(つまり私世代)のような考え方だと、幸せになる道は点数的に高い位置にいないと得られない、ということになって未来を心配するあまり子どもにあれこれ課してしまうんだけど、

今この子は幸せか、そして今後もずっと本人の心持ちが幸せであり続けるか

と、幸せな状態、つまり日々を幸せだと感じられる心の状態でいることがまず大前提にあって、安定した幸せの上に興味を持っていることや将来の進路が広がっていくイメージを持つと、親がしなくてはいけないことは、未来への不安を煽ってはっぱをかけることでも、何かしらの才能を開花させようと躍起になって先手を打つことでもなく、

今、温かいご飯を作って心と体を満たしてあげることだったり、いってらっしゃいとおかえりなさいをきちんと言って安心して家から送り出したり出迎えたりすることだったり、何かあったらいつでも話を聞いてあげられる姿勢でいることだったりと、

いたってシンプルなことしかできないんじゃないかなぁ、というか、そこらへんをしっかりわきまえないといけないなとあらためて気付かされた次第です。

子どもに育てられていますなぁ。。

というわけで、あれです。今子どもたちはドラゴンボールのゲームにはまって、その流れでキャラクターの絵を描きまくった紙が部屋に散乱していたり(まだ量産中)、歴代主題歌を覚えようと夜でも歌声が響いたり、ゲームバトルがリアルになって喧嘩していたりするんですが、

二人ともものすごく夢中で、これはこれで幸せそうではあるので、幸せ基準で考えれば、そんなことしてる暇あったら勉強でも~というお決まりの文句は呑み込んで、完全燃焼して飽きるところまで無の境地(ある意味修行)で見届けようと思います。どこへ向かおうとしてるのかは謎だし、ゲーム時間なんかは管理しますけどね。

ではでは、また。


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